花牟禮病院の歴史
花牟禮病院が取り組んできた医療の歴史について
花牟禮病院は、1917年に創立者 花牟禮武夫にて開業以来、約100年の歴史を誇る病院になります。
開業当初は、すべての病気を診ておりましたが、専門は産婦人科でした。
3代目の院長 花牟禮文太郎にて1964年に日本でたった7台目の内視鏡(HIRSCHOWITZ【ハーショヴィッツ】)を導入、内視鏡的逆行性胆道膵管造影は九州で最初に実施するなど、消化器内科を中心に地域に携わってまいりました。2008年にはカプセル内視鏡検査を開始するなど、新しい機器、技術の導入には積極的に取り組んできました。
現在では、内科、消化器内科、放射線科をはじめ、がんに対するフコイダンを含めた統合医療や、ハイパーサーミア(温熱治療)にも取り組んでおります。
先代たちが築き上げてきた病院で、さらに多くの方々のいのちを繋いでいきたいと考えております。
創立者
花牟禮 武夫
二代目院長
本田 修
三代目院長
花牟禮 文太郎
三代目院長 花牟禮文太郎より
父、武夫を物語るものとして次のようなことが思い出される。それは昭和14年頃、県下にまだなかったというレントゲン線発生装置を既に医院の一室に備え付けており、日常の診断に大いに利用していたようである。
しかしながら、第二次世界大戦の戦局は次第に我が国にとって不利となり、敵の空襲も地方都市におよぶようになっていた。そこで、そのレントゲン装置を守るために、屋敷回りの石垣の一部を取り崩して大型の防空壕を構築し、その中に装置のすべてを格納していたので、このレントゲン装置は見事に無傷のままで残ることができた。しかしその装置も日の目を見ることも無く、出番のないまましばらくの間防空壕の中で眠り続けることになる。何故ならば物資も人手もない敗戦直後の困難の続く中、その日その日の生活を続けることが精一杯で、とてもそれ以上のことに手がまわる余裕等なかったからである。しかし復興の兆しが見え始めるころ、父はいち早く診療所の新築に取り掛かり、昭和25年には外科・産婦人科を中心とした診療体制を整え、そのレントゲン装置も修復されて診療面でその威力を発揮しはじめたらしい。勿論まだ学生の私であり、全てを理解することはできるはずもなかったが、その頃、物事には果断でなければならないという事を教えられたような気がしたのである。
現在では、ハイパーサーミア(温熱治療)にも力を入れております
四代目院長
花牟禮 康生
四代目の私、花牟禮康生になってからは、ハイパーサーミアによる温熱治療や、セカンドオピニオンにも取り組んでおります。
手術、放射線、抗がん剤といった西洋医療だけを施すだけがすべてではありません。
西洋医学と組み合わせることで、治療困難な病気を治すことができる治療がたくさんあります。